2015年11月8日日曜日

ありがとう!フーちゃん

2歳まで野良猫で18年前うちの子になったフーちゃんが
11月7日午前2時半に永眠しました。

11月2日から食べ物を食べなくなり心配していました。
10月には獣医さんに「1年持たない」といわれていましたが
まさかと思うくらい元気でした。
腎臓が悪く最後は尿毒症だったのですが、
苦しみもせず、眠るように安らかな最後を迎えました。


      在りし日のフーちゃん



先代の犬たちとは仲良しでした。



11月2日、亡くなる5日前でも可愛かったです。


11月5日、亡くなる2日前、もう動けないはずのフーちゃんが
階段まででてきて、皆がいる1階をのぞきに来ました。
「さよなら」を言いたかったのでしょうか。


寂しくなります。



2015年10月28日水曜日

バラが咲いた

バラがきれいに咲きました。多分今年最後のバラになるでしょう。バラはすごく種類が多いのですが、私はこの巻き方のバラが好きです。



9月上旬に種からまいたコスモスが10月の終わりに第1号がやっと咲きました。
あと50本くらいありそうなので、すべてが咲いたら圧巻でしょうね。楽しみです。


その他、今が盛りの花々です。





2015年10月13日火曜日

家庭菜園をとびだして Ⅱ

最近は花屋さんやコープへ花の苗を見に行くのが趣味になった。
園芸が楽しいのだが、私の性格からしてどうもいじりすぎるようだ。
やりすぎはよくないのはわかったいるのだが、水や肥料を与えすぎているようだ。





手製のプランターも作りました。


ベランダ全体としてはこんな感じです。最近はバラの育成に燃えています。


2015年8月26日水曜日

家庭菜園始めるⅢ

家の庭の花々を撮っておこうと久しぶりにCANONの大きなデジカメを取り出しました。
1枚目オクラ、2枚目ゴーヤ、野菜の花って意外にかわいいでしょ。









2015年8月12日水曜日

家庭菜園始める Ⅱ

ウチの犬は何とか教育して入らないようになったけど、
友達の犬は入って菜園荒らしをするので、
写真のように改良しました。
まあ、大変でしたが、これからも大変!



年に1回くらい塗り直さないといけないんでしょうね。


本日の収穫です。バジル、トマト(ホーム桃太郎)、ミニトマト、白ゴウヤ、オクラ

2015年6月26日金曜日

家庭菜園始める

ベランダで野菜作りを楽しんでいましたが、
もっと栽培したくて庭の一角に家庭菜園を作りました。
小さく見えるけど3.5×1.4メーターあります。
この寄木作りの木枠を作るのに2日間かかりました。
特にコーナーの処理に苦労しました。
ベランダではミニトマト、ナス、オクラ、ネギ、パセリ、ゴーヤ、
菜園では黒豆、バジル、トマト、あとは花です。



2015年6月25日木曜日

戦争法案反対?

昨日JR三田駅で「戦争法案反対」と叫び、
署名を集めている人たちを見かけた。
左翼の人間達はどこへでも行く。「沖縄基地反対」も本土から
大量に動員されているらしい。
「戦争法案に反対し、9条を守れ」という主張らしい。

左翼の人間達は大体みんな同じことを言う。
「9条があったから平和が守られた」そうだ。
「9条があればどこも攻めてこない」、「誠意を持って接すれば
分かり合える」、そんな幻想を抱いている。

日本は北にドイツ、南にイタリア、西にフランス、
てな恵まれた位置にない。
こんなところに日本があれば常識が通じて、誠意も通じるだろう。
しかし悲しいかな日本の周りには、南北朝鮮、中国、ロシアと、
世界最悪の位置にあるのだ。
平気で嘘をつき、詐欺をし、世界に嘘を宣伝して回るような
国ばかりだ。

左翼のもの達は黙っておとなしくしていれば、
攻めてこないとでもいうのか。ああいうたぐいの国には謝ったり、
金払ったりしたら最後までしゃぶり尽くされる。
戦後の反省から近隣国に配慮してきた姿勢がいけねかった。
国交など回復しなくてよかった。
韓国にも中国にもびた一文出すべきでなかった。
これらの国には後進国の貧乏国でいてもらった方が
日本もアジアも平和でいられrた。
返す返すも残念である。

誰だって戦争はイヤだ。イヤだからと言って目を背けて
反対を叫ぶより、戦争しないためにはどうすればよいかを
国民全体で考えるべきだと思う。
世界の常識が通用しない国にたいしては、
それなりの抑止力を持つべきだ。

2015年5月7日木曜日

海ゆかば ライブ版

海ゆかばのライブ版をアップする。

日本の戦争がすべて悪か?
そんなことはないだろう。

アジアの小国、日本が歴史上初めて欧米相手に戦いを挑んだ。
欧米の植民地になっていたアジア、アフリカの国々に勇気を与え、
続々と独立を勝ち取った。

朝鮮半島にしても、バラ色の楽園に日本が侵略したわけではない。
疲弊しきった国のインフラ整備や国の隅々まで学校を配置したり、
貢献した部分もある。

弱肉強食の時代には、日本だって弱ければ植民地になっただろう。
攻めなければ攻められる時代でもあったわけだ。

中国や韓国には大変迷惑だったろうが、
独善的ではあるが、わが国は八紘一宇の精神で
アジアに繁栄をもたらそうとまじめに考えていた。
多くの兵士もそういう理想を持っていたはずだ。

現在の国際秩序、人権意識で計れない時代であった。

https://www.youtube.com/watch?v=ccl2hJSn9YA



2015年4月27日月曜日

海ゆかば

私も還暦を過ぎ、そろそろ引退しなければと思うが、
声楽家としてこれだけは歌っておきたいと思う歌がある。
それがこの「海ゆかば」だ。

音楽学生だった私の叔父は昭和20年に南方で戦死した。
私の叔父だけでなく多くの若者が国のためと信じて命をささげた。
この方々の犠牲の上に今の平和があると思っている。










2015年3月27日金曜日

オリンピック・パラリンピック

今NHKのドキュメントを見ていて気になったこと。
「めざせオリンピアン、パラリンピアン」なのだが、
いつからかなー、オリンピック、パラリンピックを並列で
いうようになったのは。
みのもんたが朝ズバで盛んに言いだしていたが、
あのみのもんたが言うもんだから、なんか偽善ぽかった。

こんなことをいうと人権活動家がワイワイ言いそうだが、
オリンピックとパラリンピックはやっぱり違うと思う。
どこが違うのかなんてここで書くまでもなく皆分かっているが、
皆言わない。
オリンピックとパラリンピックはセットにすべきだという声には
皆「そうだそうだ」としか言えない雰囲気がある。
まあ、どちらも価値はあることも皆わかってるのでね・・・。

こんな誰も見ていないブログだからいうが、
オリンピックで一番になって国旗を揚げてくれると感動する。
あの人と同じ国民であることに誇りを感じる。
パラリンピックの優勝者にも「ハンディを持ちながらよく頑張ったな」
と思いジーンと来るが、前者の場合の血沸き肉躍る感動とは違う。

オリンピック招致のプレゼンに国民が感動したといわれているが、
都知事やフェンシングの選手や滝沢クリステルの芝居がかった
パフォーマンスには、私は恥ずかしいと思ってしまう。
一番にプレゼンしたパラリンピックの幅跳びの女子選手がいたが、
あの人の話も身振り手振りが芝居がかって少しひいてしまうが、
非常に感動した部分があった。それは
「失ったものを嘆くのではなく、今あるもので頑張りたい」
みたいなことを言っていた。いろんな面で恵まれた女性であったろうに
片足を失って失意のどん底を味わったと思う。
こんな前向きな言葉が出るまでにどれだけつらいことを乗り越えただろう。
「強い女性だなー、美しい女性だなー」と素直に思った。



2015年3月23日月曜日

発声法について

私は今でも多少声楽を教えている。
気をつけていることは「こうでないといけない」と言わないこと。
まあ、いろんな方法があるのだ。

ちょっと古めの声楽教師がよく言うのは「息は鼻から吸え」である。
私は歌う口でそのまま吸えと言っている。これは世界の常識だが、
あまりに鼻から吸う人が多いので、それでも良いと言っている。
まあ声楽ってのはどっちでも良いことがたくさんあるが、
ダメな教師は自分が教わった方法以外をダメだと言う。

私は「どちらでも良いよ マリア・カラスも鼻から吸うから・・・」
とよく言っていたが、気になってよくよく見たらカラスは口から吸っていた。
鼻が異常に大きい人だからどうもそういうイメージがあったが
実は違った。カラスさん、ごめんなさい!

今はDVDもYOUTUBEもあるので、歌を教える人はよく見てみることだ。
よくよく調べると鼻から息を吸う人はいない。
Franco Corelli がたまに鼻から吸うことがあるくらいだ。
デルモナコ、ステファーノ、ドミンゴ、カレラス、バスティアニー二、フレー二、
カプッチルリ、テバルディ、素人さんには分かりにくいかも知れないが
みんな口から吸う、というか、みんな自然に分からないように吸う。
関西によくいる「口を閉じて音を立てて鼻から息を吸う」ような歌手はいない。
だれか鼻から息を吸う世界的な歌手がいたら教えてください。
まあ喉を開いて、お腹から声が出るのならどっちでも良いと思うが・・・。

声を出すときは「腹をひっこめろ」と言う人と「腹を出せ」という人がいる。
厳密には「下腹を引っ込めてみぞおちあたりは突き出す」というのが
1960年フースラーの研究以来の世界の常識だ。それも単純ではない。
1回4万5千円もレッスン料を取る人が「鼻から吸って、腹は出せ」と言うらしい。
その犯罪的な声楽教師にはあきれるが、
生徒の方も少しは考えて、そんな先生とは絶縁しなさいといいたい。
そんな古手の人がまだまだ関西にはびこっている。
関西に歌える人が極端に少ないのは当然である。


2015年3月4日水曜日

さよならは言わない

3月1日三田郷の音ホールでのコンサートで演奏した「さよならは言わない」をアップ!

マイホームをもって最初に飼った愛犬ジョン君が腸炎でショック状態になり、
獣医さんに心臓マッサージしてもらっていた。
意識不明が続いていたが最後の力をふりしぼり、頭をもたげてこちらを見た。
「お父さん、お母さん、ありがとう」って言った気がした。
そんなことを思い出して作った歌が今では神戸市その他の
動物慰霊祭の歌として歌われている。
この歌のおかげか、コンサートでは17,550円ほどの寄付が集まった。
日本動物福祉協会阪神支部「CCクロ」に寄付させていただく。感謝!

「さよならは言わない」作詞・作曲 中塚雅敏
あの日あなたと歩いた 浜辺の小径に来てみた
潮風浴びたあなたに また会える気がして
別れの朝 澄んだ瞳で ありがとうって 言ってくれたね
さよならは言わない だって つらすぎるから
さよならは言わない きっと また会えるから
今も覚えているよね 並んで星座を見たこと
にじんだ星を見ながら なぜか悲しくなかった
信じ合うきずな 愛し合う喜び 寄り添いながら 分かち合えたね
さよならは言わない だって つらすぎるから
さよならは言わない きっと また会えるから

2015年2月18日水曜日

またまた猫の話

今日も悪夢を見た。ライオンの夢だ。
実家の裏庭で母がライオンを飼っていた。
雄2匹と雌1匹とその子供達たくさんである。
「こんなたくさんどうする気だ」と私は呆れて、
すぐに動物園に引き取ってもらうといって電話していた。

そうこうしているうちにライオンが全部逃げて
町中が騒然となった。家の前の商店街がなぜか江戸の長屋風だ。
店先でソーセージを売ってるちょんまげの人が
「これじゃ商売あがったりだ、10万円は保証してもらわないと・・・」
と言っていた。その隣の人もそうだそうだと言いだし、
私は「しょうがないなー」と覚悟した。
そのうちライオンが帰ってきて、ほっとしたところで目が覚めた。
書くと簡単だが長く恐ろしい夢だった。

フロイト先生ならそれらしく夢の分析をするのだろうが、
猫が乗っていただけなのだ。この猫は私が寝返りうとうが
何をしても曲乗りのように上に居続ける。


ところで私はよくせきが出る。昔喫煙していたので気になって
昨年病院で調べてみた。ガンが心配だったからだ。
結果は異常なく、アレルゲンを調べてもらった。
そしたら何と猫アレルギーだそうだ。
私は動物、特に犬、猫が好きなので困ったことになった。

咳が出て苦しいときもあるが20歳の猫を
どっかにやる気などサラサラ無い。
うちの猫は家内のことを犬の人と思い、
私を猫の人だと思っている。いつも私に寄り添っている。
この猫はもうすぐ死ぬだろうが、また猫を飼うだろう。
咳くらい我慢しよう。私の寿命くらい縮んでも良いと思っている。

こうして家も私も犬猫とともに朽ち果てるのだ。


2015年2月16日月曜日

悪夢

最近夢をよく見る。それも悪夢だ。
楽しい夢や嬉しい夢、色っぽい夢の内容はシッチャカメッチャカで
短く断片的で朝起きたらどんな夢だったか思い出せないくらいだが、
悪夢は総天然色で筋も現実的で2,3日は覚えていられるものが多い。

悪夢を見る原因ははっきりしている。
寒くなると猫が私の胸の上で寝るからだ。
結構大きな猫なので息苦しいのだ。
意識のあるときはどけるのだが、熟睡すると必ず上にいてにらんでいる。

今日の夢はザッとこんな感じだ。
喫茶店の帰りに坂道を歩いていると私の横に見知らぬ女性が手を組んできた。
175センチくらいでやせ形、顔の左側にうっすらと紅いアザがあった。
その女性がやたら「死にたい」だの「苦しい」だのと言って
なかなか離れてくれない。私もそうだろうと言うのだ。
さっきの喫茶店のウエイトレスにそんなことを言っっていたらしい。

しょうがないので話を聞いて分かれようと思い、喫茶ルノアールに入った。
そこで「じゃまた話したくなったら電話して」と言うことになって、
お互いの電話番号を交換した。
私が「090-0300-0900」というと「もう一度言って」というので言ったら
「それ嘘でしょ!」と恐ろしい顔でにらんだのだ。
こうして書いていると何でもないのだが、そのときはぞっとしていた。
なぜこんなわざとらしい番号を言ったのか後悔してるところで目が覚めた。

きっちり猫が私の胸の上で私を見ていた。目が合うとしばらくは
私を見ているが、そのうち目をつむったり、そっぽ向いたりする。
朝の5じだったのでもう一度寝てしまって続きを見ていた。
何でも恋人だったフェンシングの選手が自殺したらしい。
私はパソコンで「フェンシング選手 自殺」で検索してみたら
あったのだ。その辺で目が覚めた。

先日の夢は実家に帰ってトイレにいく夢だった。
実家はトイレが2つ(夢では3つ)あってもちろんウオッシュレットだが、
夢では3つあったトイレのうち2つをウオッシュレットからポッチャントイレに
改造していたのだ。「なぜそんなことをするんだ!」と怒鳴りながら捜したら
両親の寝室の枕元にだけウオッシュレットがあって、
そこで父親に文句を言いながら用を足している夢だった。
父は平成元年に死んでいるので少し懐かしかった。

その前の夢は、臭くて汚ない工場で廃液にまみれて仕事している夢だった。
どれもきっちり猫が上に乗っていた。
これからも夢は記録として書いておこうと思う。


2015年1月28日水曜日

言葉使いが気になる

もう昨日の話になるが田崎真也氏のワイン会に行ってきた。
(内容はFBにも書いたので省略)

大変お話がおもしろくスーッと頭に入ってきて心地よかった。
思いやりのあるお人柄もあるが、日本語が美しいなーと思った。
先日TVで50年配のおっちゃんが「時間とかがないので」というのを聞いて
私は「とかって何や!?」と吠えていたので、きれいな日本語が嬉しかった。

そういえば気に入らない言葉が多くてよく頭に来る。
「スポーツすると健康にいいって言うのがありますね」って言う人がいる。
「体にいいですね」でいいだろう。「あります」ってなんだ!!!!????

「試行錯誤している自分がいた」とか言うのを聞くと
「このナルシストめ!!!」という気になる。

「私って温泉好きじゃないですか」とかいう女を見ると
「そんなもん知るかー!!!」と言いたくなる。
今は思い出せないが、その他にも頭に来る言葉使いはある。

でも幸い私の周りにはそんな言葉を使う人はいない。
すべてTVで聞く言葉だ。主に東京人なんだろう。

あっ、いたいた。一人語尾上げ言葉の人がいる。
大変いい人なんだけど、それだけは気になる。

私の若い頃から「今の日本語は乱れている」なんていう老人はいたが、
私は何とも思わなかった。
「言葉は生き物だからしょうがないだろう」くらいに思っていた。
言葉が気になるようになってきたって言うのは歳とったってことなんだろう。

2015年1月26日月曜日

日本破れる

アギーレジャパンが準決勝で敗れてから3日もたって書くのは
いかにも間が抜けている。よくブログを書く人々ならすぐに書くのだろう。

相変わらず試合はなんとも歯がゆい内容だった。
日本には一人でドリブルしていってポコンとシュートして
点を取れる選手はいないのか!!!!
ヨーロッパでも南米でも中東でもオセアニアでも
エースと呼ばれる選手は一人で点を取る。
日本は多人数で分厚く攻めて最後のシュートが入らない・・・の連続だ。
「いい形でしたねー!」なんて意味ないだろう。

ペナルティ合戦になって悪い予感がしたが、
結局本田、香川の両エースがはずして負けてしまった。
まあ昔から大エースがペナルティをはずして負けることはよくあった。

アメリカワールドカップ決勝ではジーコが完璧な選手と絶賛していた
ロベルト・バッジョがPK合戦ではずして負けた。

そのジーコも世界最高の選手と言われていた頃、
メキシコワールドカップのフランス戦でPKをはずして負けた。
そのフランスも次の試合でエースのプラティニがはずした。

当時のブラジルは今でも史上最高のチームという人が多い。
ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、ジーコの中盤、
ストライカーはリベリーノだったかカレカだったか忘れたが、
とにかく美しいパスサッカーだった。
プラティニのフランスも評判のチームだった。
でも結局神の手ゴールのマラドーナのアルゼンチンが優勝した。

私はジーコという選手が好きだ。尊敬している。
毎年のようにイタリアに行っていた時期があるが、
そんなときにウディネーぜにいたジーコを見たことがある。
90分間スーパープレーの連続で魅せられてしまった。
MFでありながら得点力があり、確かユヴェントスのプらティニと
得点王争いをしていた。

だからあの世界のスーパースターのジーコが
母国のスポーツ大臣をやめて住友金属に選手として来たときは
びっくり仰天であった。よくサッカー後進国に来てくれたものだ。
膝に古傷があってJリーグでは数試合しか出ていないが、
やっぱり片鱗はあって嬉しかった。
日本やイラクの監督をして、あまりいい結果は残さなかったが、
いつかは母国ブラジルの監督をして欲しいと願っている。

なお、本日の記載でアメリカワールドカップ以前の記憶は定かでない。
間違っていると思うので、お気づきの方は是非訂正してください。

2015年1月16日金曜日

車がきた!

せめて週1回は、と言うつもりでぶろぐを始めたが
なかなか大変だというのがよく分かった。
なにか自分の中で大きな出来事があったときに
意見や感想を述べようと思っていても、
あまり大きな出来事もない。
細々と演奏活動はしているがそれをいちいち書くのもね。

強いて言えば最近事故って車を廃車しした。
15万で車検受けて、17万も出してキズを総て直して
1週間目のことだった。ケガもなく命が助かったので、
お金が惜しいとはあまり思わなかった。
車さがしを10日ほどしたが実に楽しいものだった。

若い頃は車が好きだった。機械が好きなのだ。
40年くらい乗っているが、30台くらいは乗っただろう。
2年以上乗ったことがない。
長い車人生で新車を買ったのはわずか2回。
マークⅡとフィガロだったかな。

車を選ぶときには一応新車も候補に入れるが
車本体の値段だけじゃなく、あれつけてこれつけて・・・
と言ってるうちに50万くらい高くなって来る。
いい加減にしろよと言う気分になってきて、
全部付いてる中古車でいいやと言うところへおさまる。
まず洗車はしないし、犬も乗せるので中古車で十分だ。

前の車くらいからナビとバックカメラが付いたが、
恐ろしいものでもはやバックカメラがないとバックできない。
文明が人間を堕落させる部分もある。

正月に来た車はシエンタ、久しぶりのトヨタ車だ。
今まではオペラやコンサートの道具を積んだり、
たまに自転車も積むので大きめの車に乗っていたが、
いざというときはレンタカーで、普段は小さめでいいやと言うことになった。
シエンタはなかなかいいサイズで意外に広い。
もう歳だし4,5年は落ち着いて乗りたい。