2016年10月22日土曜日

やめよう!朝鮮式のお辞儀

私は最近の一部女子のお辞儀が大嫌いだ。

スチュワーデスやデパートガールがやる例のお辞儀。

足を斜めにして前で手を組んでおじぎする例のヤツだ。

元スッチー達がマナー講師になってへんてこなお辞儀を

日本中に広めているが、実はあれは朝鮮式のお辞儀だ。

チマチョゴリでお辞儀するとああいう格好になるのだ。

真横に置いた手をお辞儀と共に前へ持ってくるのが日本式だ。

伝統的に日本には美しい所作があるのだから、

まねはやめよう!

2016年8月13日土曜日

オリンピック始まる。

日本中が柔道の快進撃に沸いているが、
表彰式を見ていてなにか恥ずかしいものを感じている。

銅メダルでも大いに喜んでいる外国選手の隣で
ブスッとした顔してる日本人選手達を見てると、
他の銅メダルの選手やそれにも手が届かなかった選手に
大変失礼な態度だと思う。

また金メダルの選手も他の表彰者にたいするねぎらいもない。
これは他の競技の日本人にもいえるが、柔道が時にひどい。

M.フェルプスは表彰台の真ん中から握手で萩野と中国人を
中央に招いて共に喜びを分かち合っていた。王者の振るまいと思ったが、
欧米人なら当たり前のマナーで、日本のオリンピック選手は
まずその辺から教育すべきだと思う。以上。

2016年5月24日火曜日

家庭菜園 Ⅴ


バラが咲いた、バラが咲いた・・・・という歌があったが
バラが咲くと歌いたくなる!




残念ながらバラは早く切って木を傷めないようにする。
これでも咲かせすぎらしい。




          ミニバラはあまり制約はないようだ。私に向いている。



カンパネッラ 鐘という意味だ



          種からせっせと育てたポピー



本日の収穫 レタスは毎日バケツ1杯採れる。
少々飽き飽きしているが、
すぐに育つし、虫も付かないし、何より新鮮で
プランター3つ分も作ればレタスを買うことがなくなる。
お薦めである。



2016年5月21日土曜日

家庭菜園Ⅳ


家で育てたバラが咲いた。
これは近所の農協で150円で買った名前も知らないバラだけど、
この巻き方が一番好きだ。



これはマドーナという品種でとにかく大輪。
育てにくいけどなかなか見事!


ミニバラは育てやすく手間も要らないのによく咲いていい。


秋に満開にするために
春のバラはつぼみのまま摘んだ方がいいらしい。
そんなことはできましぇーん!



これは終わりかけのビオラとスイトピー 


花だけでなく野菜、果物も作っている。
レタスは家で採れるのが一番柔らかくてみずみずしい。
イチゴはやや甘みにかけるけど実がしっかりしている。


         夏にはブルーベリー、レモン、トマト(大玉、中玉)が採れそう。楽しみだ。

       昨年はナスやオクラやゴウヤも植えてみたが、まともに収穫できなかった。
              ナスはまあまあ採れたが、皮が固く味も悪かった。
             スーパーで3つ100円で売っててがっかりして、今年はやめた。

           でも農業のおかげで朝5時前に起きて作業する楽しみが出来た。

2016年4月8日金曜日

株が下がった

バブルの時代に株で痛い目に遭い、手を引いていたが、
5年くらい前からもう大丈夫と株と投資信託をやってきた。
去年の暮れまでは順調に利益も出ていたが、
現在は下がり続け、5年間の利益をはき出したうえ、赤字となった。
アベノミクスはどうなってるんだ!

2,3年前にブラジル関連を早めに売って難を逃れたが、
中国関連を持ちすぎてしまった。
やっぱりああいう国は信用してはいけなかった。

前から日本は51番目かなんか知らんが、
アメリカの州になればいいと思っていたが、
少なくとも投資はアメリカ中心にしよう。

ああいう独善的な価値観を世界に押しつける
厚かましさをもった国ってのは経済も底堅い。
世界を食いつぶしても自国の利益を追求する、
という姿勢が腹立たしいが、うらやましくもある。

とにかくノーベル経済学賞受賞者がわんさかいて、
ハイエナのように世界から利益をむしり取る。
日本も物理学だけでなく、経済学の分野でも
先端を行って欲しいものだ。

2016年2月13日土曜日

除染

丸川大臣が福島の除染について問題発言をし、すぐさま謝った。
私はあたりまえの普通の話だなーと思ったが、マスコミ的には
「そらやったぞ!追求だ!」となってしまう。

完全な除染など出来るわけもなく、する意味もないと思う。
みんなわかっているのだけれど口に出来ない。

また、東北の何千人の行方不明者の捜索に莫大な金と人が
使われている。遺族の人に言いたい。
「もうあきらめてくれ!骨が見つかったってそれがどうだというのだ」
これも我々の税金なのだ。
泥をかき分け骨を捜している人の身になって見ろ!
捜したければ自分でやれ!


神戸の震災時、ウチの近所の仮設住宅の人たちは
口をそろえて「長田に帰りたい」といっていた。
復興住宅に移り住むときには仮設の人たちと別れるのがイヤだ、
といっていた。

長田に帰りたいと行っていた人たちで帰っていったひと達もいたが、
決して満足ではなかっただろう。
実はもどっても幸せにはなれないのだ。

彼らが求めていたものは単に長田という土地に
帰りたいと言うことではなく、お店、人等コミュニティを求めていたのだ。
でもいったん町がつぶれてしまったら残念ながらコミュニティは戻らないのだ。

福島の人たちも除染が終わって福島に帰っても元の生活が、
元の地域社会が復活するわけではないことを知るべきだ。

福島の県民200万人に一人あたり1000万円をお渡しし、
よそで住んでくれとお願いした方がみんなが幸せになれただろう。

無尽蔵に金をつぎ込んで無意味な除染を続けるよりよほど安上がりだ。
莫大な除染費用は我々の税金である。

国は強権を発動しても気のせいばかりのわがままを許さず、
みんなが結果的に幸せになれる方法をとることも必要ではないだろうか。

そういう合理的な政策がとれないのは、
一部の人達の迷信、わがままを無視できないからだ。

遺骨なんて求めないでくれ!
誰の骨かわからんのだから!

福島に戻るのは諦めてくれ!
福島はそのままにして立ち入り禁止でいいじゃないか!
日本はまだまだ広い。新しい土地で新生活を始めてくれ!、

だれかが勇気を持って言うべきだっただろう。


2016年1月26日火曜日

オペラ「白い雲のかなたに」公演迫る。

今週の日曜日(1月31日)2時から東灘うはらホールで
オペラ「白い雲のかなたに」の公演があります。
ご来場いただけるとありがたいです。



このオペラを作るにあたって気をつけたことは、決して悲惨なことがらを思い出させるのではなく、
生きる勇気を与えられるような作品に・・・ということだった。

世の中には語り部という人たちがいて、「私たちの苦悩を忘れないでくれ」と訴える。
大震災の語りべ、広島の語りべ等がいるが、私はああいうのをあまり気持ちよく聞いたことがない。原爆の語りべたちは「だから戦争はいけない」と結論づける。そういう意味では意義もあるのだう。まったくもってごもっともであるが、国際秩序、ルール、人権意識、そんなものが通じない国々が日本の周りに集中しているのだ。「だから戦争はいけない」というのもわかるが、戦争はしかけられる可能性の方が多いのだ。
歴史をねつ造までして日本を責め立て、あちこちに告げ口して回る国々があるときに、長年の平和ぼけで話せばわかると思いこんでいる人たちが案外多い。備えをすれば「戦争法案」と叫び、ラップでパフォーマンスする高校生達が出現したりする。

一方、震災の語りべ達は「だから震災はいけない」ともいえないので、「だから備えをするべし」という感じの、迫力のないむにゃむにゃとしたところへ持って行く。

私は、悲惨な出来事なんか忘れてしまえばよいと思っている。ただ、あのときはみんなが優しい気持ちになれた。私の家は一部損壊と認定されて大変だったが、震災の中心部の人たちに比べたらなんて事はないと思っていた。人生ではじめてボランティアらしきことをした。人生ではじめて自分の事より他人のことを優先させた。

私がこのオペラを作るにあたって第1に考えたのは、あの時みんなが人のことを思いやった気持ちを大事にしたいと言うことだった。私はあの時多くの尊敬すべき人たちに出会った。人の真心にも触れた。あの時から涙もろくなった。